top of page

 

【千葉県鎌ヶ谷市の梨の歴史】

 

鎌ヶ谷市の梨生産は、産地としてもその歴史は古く、さかのぼること江戸時代の末から栽培が始められました。販路についても早くから市場出荷のほか、直売・宅配便の利用が盛んで、なかでも果樹園などでは観光農園としても、県内外から人気を呼んでいます。  千葉県の梨は日本全国での産出額や栽培面積においては、第1位です。鎌ヶ谷市の梨の収穫量と産出額は長い間、県内第2位となっていましたが、平成18年以降それぞれが第3位とはなりましたが、常に県内でも上位を占めている梨で有名な地域です。

 

 

※資料引用 鎌ヶ谷市役所様ホームページ トップページ-おいでよ鎌ヶ谷-特産物 より

 

 

【千葉県の梨栽培の歴史】

 

千葉県における梨のルーツは江戸時代にまで遡ります。千葉県で梨栽培が始まったのは、江戸時代の1769年※に、八幡地方(現在の市川市八幡地区)で、川上善六氏が取り組んだのが最初と言われています。  川上善六氏は、1742年八幡地方に生まれ、幼児より書を好み学識に富んでいました。殖産興業に熱心で、八幡地方にどんな作物が適しているかを探していたところ、美濃国大垣辺で品質の良い梨栽培を見てその技術を学び、枝梢を持ち帰って八幡地方に広めました。  八幡地方で収穫された梨は江戸に運ばれ、高級品としてもてはやされていました。  このため、産地は急速に拡大し、徳川末期には関東で最大の梨産地になったと推定されています。 ※徳川第十代将軍家治の時代で、田沼意次が側用人をへて老中となり権力をふるった頃。田沼は,商人の財力を利用して印旛沼や手賀(てが)沼(ともに利根川の下流域)の干拓を進めた。 出展:千葉県果樹のあゆみ(千葉県果樹組合連合会発行)より「江戸名所図絵」(天保5年、1834年) 

 

 

※資料引用 【教えてちばの恵み 様ホームページより】

 

 

 

bottom of page